森ようツナギスト Japanication ゲッベルみどり

miamama.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:コラム( 18 )

モシュ森ツナギストだより執筆中です

森ようツナギストことJapanication ゲッベルみどりです。
私のブログをご訪問くださりありがとうございます。

2016年5月に「モシュ森ツナギストだより」の執筆を開始しました。
「モシュ森」とは、モンテッソーリ・シュタイナー・森のようちえんをつなげた言葉です。

2010年から森のようちえん・モンテッソーリ幼稚園・シュタイナー幼稚園・シュタイナー学校の
視察プランを手がけておりまして、これらの素晴らしい3つの教育を学び得た情報を私なりの
言葉で綴っています。

私はこの3つの教育をお客様にお伝えする「ツナギスト」の役割を担っています。

教育畑出身ではないので、あくまでもお母さん目線の視点です。
不定期更新になりますが、おつきあいのほどよろしくお願いします。

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 1「心の根っこ探し」

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 2「木との対話」

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 3「自由の定義」

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 4「ルールの必要性」

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 5「呼吸をするような保育」

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 6「こころの音とオイリュトミーの類似性」

【モシュ森ツナギストだより】Vol 7「愛でる力=芽出る力」



[PR]
by midorimartin | 2018-09-30 19:53 | コラム

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 6 「愛でる力=芽出る力」

森のようちえん・モンテッソーリ幼稚園・シュタイナー幼稚園・シュタイナー学校の視察を通じて感じる醍醐味の一つとして、子供たちの「芽出る力」が半端ないこと。




「あっ、これなんだろう??」と思う心の動きがまさに「芽が出た状態」であり、そのまま探求していくプロセスは「芽が伸びていく状態」。




心の動きのままに、身体も無意識に動くわけで、心と身体は一体感のまま成長していく。




そして、ここに「イマココ」がアドオンされると、「愛でる力」に変わり、「愛でる力=芽出る力」という数式が生まれる。



森のようちえんの場合、いろんなオブジェクトに変化する自然物に触れることで「冒険心」を学ぶ。



モンテッソーリ教育の場合、様々な色や形を持つモンテッソーリ教具に触れることで「自発性」を学ぶ。



シュタイナー教育の場合、心が落ち着く色や素材に触れることで「心地良さ」を学ぶ。



イマジネーションの世界に身を置くことで、「愛でる力」が倍増し、「芽出る力」も増えていく。



心の中で、「自分」という木の芽が生まれて、少しずつ成長していく感じ。



子どもたちのピュアな心に触れるだけで、大人は忘れがちなファンタジックワールドに入れるのだ。



何か一つのことでいい。一生懸命に向き合おう。それが、心の芽の養分になり、自分を愛する力に変わる。



愛でる力=芽出る力。




[PR]
by midorimartin | 2018-09-30 19:48 | コラム

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 6 「こころの音とオイリュトミーの類似性」

11月26日(土)ミュンヘン日本人会主催の体験型セミナー「音楽療法〜こころのおとを聴く」を企画しました。




参加者の総数は20名。前半は音楽療法の講義、後半は音楽療法の生体験という2部構成。





後半のセッションは2つのグループに分かれ、各々が好きな楽器を持ち目を閉じて即興演奏。




聴いてる方も目を閉じて音を楽しみました。




講師の音楽療法士の鎌田菜美さんはピアノでみなさんが即興で奏でる音楽に寄り添います。




私は司会進行という立場でしたので目を開いてみなさんのセッションを観察していました。




そして感じたことは、「むむっ。何かに似ている」




記憶をたどっていくと、そうです、シュタイナー教育のオイリュトミーのピアノ伴奏に似ていたのです。




オイリュトミーのピアノ伴奏は、先生の指示に従いながら、生徒が奏でるパフォーマンスに寄り添う即興音楽。




患者さんのこころの音に即興で寄り添う音楽療法。




どちらものグループセッションは、最初は少しずつ空気感が変わっていくのを感じ、途中で盛り上がりがあったり変化があったりを楽しみ、最後は一つの作品を作り上げた充実感や達成感を味わう。フィードインとハイライトとフィードアウトが存在していることが似ていると思いました。




菜美さんが「音楽療法士のお仕事は、きっかけづくりであり、みんながどこかで出会えるような下地(ベース)を作ってあげること」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。




私のようちえん視察プランのコーディネートのお仕事も、参加者のみなさんの自分探しのきっかけづくりに寄り添っているような気がするので、菜美さんのお仕事に共感を持っています。




オイリュトミーは精神世界であり、自分と向き合う作業なのかもしれないと、今回の音楽療法のセミナーを通じ新たな発見がありました。自分と向き合うためには導いてくれる人、寄り添ってくれる人が必要であり、シュタイナー学校の生徒はオイリュトミーの先生から指導を受け、ピアノ伴奏者に寄り添ってもらい、自分探しができる機会を与えてもらっている。




シュタイナー教育の素晴らしさを再認識しました。




[PR]
by midorimartin | 2016-11-27 16:39 | コラム

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 5 「呼吸をするような保育」

2013年にシュタイナー幼稚園を視察させて頂いた際に園長先生から伺ったお話です。




「私たちは、呼吸するような保育を心がけています。つまり、息を吸っている状態と、息を吐いている状態を、子供たちに交互に提供するというものです。具体的には、集団行動をしているときは、息を吸っている状態で、自由行動のときは、息を吐いている状態です」




私はこの言葉を聞いたとき、頭の中でハレーションのようなヒラメキがありました!




そうです。「息を吸っている状態」は「誘導保育」で「息を吐いている状態」は「見守り保育」なのです。
「集中」と「解放」を繰り返すことが、幼児教育には重要ということなんだと思います。





なぜ、この言葉に衝撃を受けたかといいますと、私自身、呼吸をするように仕事をしていて充実感を体感しているからなのです。



 
本業のアプリのテストをしているときが「息を吸っている状態」。




副業のようちえんのコーディネートをしているときが「息を吐いている状態」。





例えていうなれば、「息を吸っている状態」=「インプット」であり「集中している状態」。




「息を吐いている状態」=「アウトプット」であり「解放している状態」。





人は「インプットする場所(集中)」と「アウトプットする場所(解放)」の両方を持つことで、ちょうど良いバランスが取れるのかもしれません。




そう思うと、幼児教育において、この「呼吸をするような保育」を実践することは、子供の成長において必要不可欠な教育であり、心身ともにバランスが取れた大人になるための礎になるものだと確信しました。





森のようちえんやモンテッソーリようちえんでも、「誘導保育」と「見守り保育」が実践されていることから、幼児保育の基本の一つは「呼吸をするような保育」と言えると思います。




仕事だけでなく、生活する上でも、呼吸はとても大事です。緊張して解放してを適度に繰り返すことで心身を鍛錬できるのかもしれません。




[PR]
by midorimartin | 2016-11-06 21:01 | コラム

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 4「ルールの必要性」

私の本業はドイツのIT企業に勤める会社員で、私はアプリ検証チームの課長代理を担っている。




大学生バイトが2名いて、彼らにいくつかの注意事項(ルール)を伝えると全部覚えていないことがよくある。再確認のため何度も復唱しなければならない。





つまり、大人でもルールをたくさん設定すると覚えきれないというわけだ。




果たして、子どもにとってルールは必要なのだろうか。




子どもが必要だろうと思うルールを大人が取り決める。




簡単に言えば、先生である大人が保育しやすいようにルールを設定するというわけだ。




ある森のようちえんはモンテッソーリ色が強く整った保育環境づくりを徹底している。




登園→自由保育→朝の会→森への移動→自由保育および設定保育→ようちえんに移動→自由保育→昼食→自由保育→終わりの会→降園




という保育の流れの中でいくつも決まりごとががある。これらのルールを子どもたちがしっかり守ってるからすごい。




完璧に美しく整備された保育環境である。





別の森のようちえんは最小限のルールを設定している。基本的に園庭が保育環境の場であり移動が少なく自然との一体感が強い。




言葉を必要とせず心がしばられないゆったりとした保育環境。




先生である大人と園児である子どもまたは子ども同士が楽しく過ごすための最低限の約束ごとが存在するだけだ。





この2つの園はまったく対照的であり観察していると非常に興味深い。




幼児保育においてルールはいくつ必要なのか。今後も研究していきたいテーマの一つである。




[PR]
by midorimartin | 2016-10-02 18:33 | コラム

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 3「自由の定義」

2010年にシュタイナー教育に初めて触れた場所がシュタイナー学校。




教育畑出身でない私にとって、見るもの聴くもの初めてづくしで、五感が解放されっぱなしの視察時間だったことを今でも思い出す。





エポック授業、オイリュトミー、匠の域までいきそうな工芸レッスン、そして、中でも注目したのは園芸の時間だった。





その時間で私が学んだことは「自由とはなんだろうか。自由に決断をするとはどういうことなのだろうか」




「欲求が動機づけで直感的に決断することは自由な決断とは言えない。概念がないことは、知覚ではない。自覚や意識を発達させよう。自覚や意識は自由の中にある」と、言葉をたくさん並べていく園芸授業の先生。




「感情を五感のように発展させることにより、知覚したことが動機となって行動できたとき、私たちは自由な決断をしたことになる」と先生の説明。




知覚が動機づけとは、いったいどういうことなのだろうか。深いテーマである。




それ以来、私は森のようちえん・モンテッソーリ幼稚園・シュタイナー幼稚園を視察するたびに、「自由の定義」を考えるようなった。



2010年から2016年の6年間の間で得た私なりの見解はこうだ。





・ シュタイナー教育 → 用意された環境 → 決定の自由性




・ モンテッソーリ教育 → 用意された環境 → 選択の自由性




・ 森のようちえん → 用意されていない環境 → 想像の自由性





「決定の自由性」とは、欲求に依存せずに決定する能力。




「選択の自由性」とは、個々の好みにぶれずに選択できる能力。




「想像の自由性」とは、何もない状態(自然)の中から何かを生み出す想像の能力。




それぞれの教育はユニークですべてが「精神の自由性」につながってると思う。非常に興味深い。




[PR]
by midorimartin | 2016-09-18 16:54 | コラム

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 2「木との対話」

2010年に始めた、森のようちえん視察プラン事業。




元々、自然派志向の私でしたが、森のようちえんと関わりを持ったことで、木と対話ができるようになった気がします。



私には「父の木」と名付けた一本の木があります。家のすぐ側には森が広がり、ウォーキング時にその木の前を通ります。父の木に手をあて、手の平を通じ父と対話しています。




父の木をからエネルギーをたくさんもらっています。木の素晴らしさを実感しています。




今年の6月に、私が書いたPeter Wohlleben氏の本「木の秘密の生活」のブログ記事をご覧になった方から、下記のようなメッセージを頂きました。記事はこちら→http://miamama.exblog.jp/25156396/




第1回 世界木こりフォーラム「ワールド・フォレスト・カフェ2016」

「世界木こりフォーラム」は、「木こり」、つまり、世界中の森を愛する人々、森と共に暮らしている人々、森林の可能性を大切に思う人々が、世界の森を訪ねて、森との新しい関わり方を創造していくための会話を行うプラットフォームです。

森林との新しい関わり方の可能性を創り出し、未来に持続可能な地球を「贈り継ぐ」ことを目指しています。

第一回世界木こりフォーラムは、日頃の肩書きや地位やいつもの視点の向こう側に足を踏み出し、オープンで率直な会話と対話をするために「ワールドカフェ」という会話手法を使います。
第一回世界木こりフォーラムは、森の中で、森を参加者の一人として迎えたカフェテーブルで、ワールド・フォレストカフェを行います。多様な異なる観点を包含して、参加した人がそれぞれに、森との関わり方に関して、これまでには可能でなかった新しい地平線を開くことを目指しています。




残念ながら、第一回世界木こりフォーラムは終了してしまったのですが、機会があればぜひ参加したいって思っています。



だって、「木こり」っていう響きが素敵なんですもの。私も「木こり」の一人だなあ〜って思います。




Peter Wohlleben氏の本「木の秘密の生活」には、珠玉のメッセージが含まれています。たとえば、、、




・  みんなで一緒がベター。いっぽんの木は森ではない。
・  木いっぽんいっぽんが共同体にとって大切な力となる。
・  木は香りを発しながら他の木とコミュニケーションを取っている。
・  木たちは強い部分と弱い部分を補いあっている。
・  キノコとの共同生活が木にとっては大切。
・  キノコは森の中のインターネット。
・  土の恵みなくして森はありえない。木は根っこを生やさなければならないからだ。
・  若い木よりも古い木の方が強くて性能が良い。
・  森は自分が現在地を理想的な場所に変えることができる。



とっても素敵なキーワードがたくさん出てきましたね。「共同体」、「強さと弱さを補いあう力」、「土の恵みと根っこ」、「今いる場所を理想的に変える」など。



木は人間にとって必要なものを教えてくれる存在と言えます。




そんなことを思いながら、森のようちえんを視察させて頂く喜び。




やっぱり、森のようちえんの視察プランをライフワークにして良かった。




もちろん、モンテッソーリ幼稚園やシュタイナー幼稚園でも、子供たちが自然と関わっている姿を見学することができる。その瞬間が一番楽しい。



[PR]
by midorimartin | 2016-07-12 04:42 | コラム

【モシュ森ツナギストだより】 Vol 1「心の根っこ探し」

「森のようちえん」、「モンテッソーリ幼稚園」、「シュタイナー幼稚園」。





名称が違い、教育スタイルも違うのだけど、「自分の本質を知る」という点で共通しているなあ〜と、それぞれの幼稚園に足を運ぶたびに感じます。



そして私は、「森のようちえん」、「モンテッソーリ幼稚園」、「シュタイナー幼稚園」の3つの教育スタイルを知る人間として、こんな幸福なことはないと感じるのです。




森のようちえんは、「自然保育」。 キーワードは、「五感」と「自然」と「共存」。





モンテッソーリ幼稚園は、「療育(セラピー)」。 キーワードは、「五感」と「素材」。





シュタイナー幼稚園は、「芸術保育」。キーワードは、「色」と「イメージ」。





人は自然の中にいることで、五感が刺激され、自然との共存につながり、自我が育ちます。





人は美しく整った環境の中にいることで、素材に触れ、五感が刺激され、自我が育ちます。





人は色を心で感じると、イメージを膨らますことができて、自我が育ちます。





森のようちえんがわかりやすいのは、「圧倒的な自然の力」を誰もが知っているから。





モンテッソーリ幼稚園は、「素材を使ったセラピー」と解釈すると、わかりやすくなります。






シュタイナー幼稚園は、「イメージの世界」を要求されるので、一番わかりにくいのかもしれません。





私は「身体」と「精神」をつないでいるのが「心」だと思うのです。





だからこそ、「心の根っこ」をしっかりと育てることに意義があると考えます。





森のようちえんも、モンテッソーリ幼稚園も、シュタイナー幼稚園も、「入り口」と「プロセス」が違うだけで、「ゴール」は同じなのです。





教育スタイルが違うのに、同じゴールを目指せる。 なんとも興味深いテーマです。 





私が実際にお客様と共に視察して学んできたことを、ゆるりらと執筆していきたいと思います。

[PR]
by midorimartin | 2016-05-23 06:08 | コラム

【連載コラム】モンテッソーリ教育と結びつく「ウンターメンチング森の幼稚園」

森のようちえん全国ネットワークさんでの連載コラム第二弾です!




ドイツ森よう便り「インスパイア」







モンテッソーリ教育と結びつく「ウンターメンチング森の幼稚園」

森ようツナギスト ゲッベルみどり


前回は、私が企画プロデュースしている『森の幼稚園インターンシッププログラム』に参加された日本人実習生第一期生が、現在正規スタッフとして勤務されている、「ガウティング森の幼稚園」をご紹介しました。 このことは、優秀な日本人の幼稚園の先生が、ドイツの森の幼稚園に認められたことを立証しています。情熱にあふれ志が高い日本人女性をドイツの森の幼稚園に実習生として派遣する仕事は、私の誇りであり、意義を感じています。今後も皆さまの夢のお手伝いをさせて頂ければ嬉しく思います。

ドイツ全国では現在、700以上の森の幼稚園が存在すると言われています。統計によりますと、ドイツ全国の幼稚園数は、2002年は27200。2011年現在は、35000くらいではないかと想像しています。 そのため、森の幼稚園の認知度は、ドイツ全国ではそれほど高くありません。むしろ、シュタイナーやモンテッソーリの方が、皆さんに知られているという感じです。

ドイツの森の幼稚園は、一般的に親主導で運営しているNPOになります。ある一定の条件を満たせば、自治体から補助金の恩恵を受けて認可型森の幼稚園に生まれ変わります。1993年にフレンスブルクでドイツで初めて国から認可を受けた森の幼稚園が誕生しました。

今回ご紹介させて頂く、「ウンターメンチング森の幼稚園」の母体は親主体のNPOで、正式名称は「Waldleben e.V.(非営利団体「森の生活」)」。 ミュンヘン市から認可されている森の幼稚園です。日本のように「自主保育型森の幼稚園」が前身だった森の幼稚園もドイツには存在します。例えば、村には他に幼稚園がなくて、先生が森のプレイグループとして、週に数回の保育を始めたところ、毎日保育を行う森の幼稚園に発展していったというケースです。日本との違いの一つとして、ドイツでは保護者が教育者の資格を持つ先生を採用しますので、母親が常時先生の代行もするという自主保育型はないと考えた方がよいでしょう(ただし、ドイツでも先生が病気や怪我や休暇などの理由で不在のときは、保護者が代行する場合があります)。
                               
第二期生が実習した「ウンターメンチング森の幼稚園」の活動場所は、ミュンヘンの北西部にある森「アンガーローエ」。バウバーゲン(コンテナタイプの園舎)は住宅地の中にあります。子供たちはトロッコを引っ張って、毎日森に出かけます。バウバーゲンから森までの距離は片道、幼稚園児の足で20分030分くらいです。

アンガーローエは、森の幼稚園には大変人気のスポットで、森の中では必ずと言ってよいほど、他の森の幼稚園の園児たちに遭遇します。私が興味深いと思っているのは、住宅地に隣接している場所なのに、森に一歩足を踏み入れるだけで、まるで見えない壁に覆われたかのように自然の優美さと静寂さを体感できることです。だからこそ、子供たちは毎日森に行きたいと思うのかもしれません。

NPO「森の生活」は、2歳児のための保育園も運営していて、スタッフの合計数は5名(幼稚園担当の先生が2名、保育園担当の先生が2名、実習生が1名というスタイル)。ただし、第二期生がいたときは実習生が2名いました。園児数は18名。斬新と思ったのは、モンテッソーリ教育者の資格を持つ幼稚園教諭がいるので、バウバーゲンの中には至るところにモンテッソーリ教具が置かれていることです。例えば、円柱と秤のセット、つむぎ棒、文字の箱、はめこみ図形など。数、言葉、運動能力を高めるために取り入れられているそうです。嵐のときは、森に立ち入ることは危険なので、子供たちは一日中バウバーゲンの中で過ごすことがあります。そんな日は、これらのモンテッソーリ教具が大活躍して、子供たちは遊びながら勉強するそうです。

森の幼稚園は、「森」にとらわれることなく、モンテッソーリ教育やシュタイナー教育など、良いと思ったものを取り入れられるという利点があるということになりますね!それがまた森の幼稚園の魅力ですね。

f0037258_20101173.jpg



今回の写真は、子供たちが横たわっている幹の上で行進しているところです。幹がお芝居のステージで、子供たちは歌いながらお芝居の一幕を演じています。そんな即興劇をするためには、お友達の協力が必要不可欠であり、子供たちは提案したり妥協したり討論したりしながら、チームワークを学ぶのだと思います。
最後に、ウンターメンチング森の幼稚園のコンセプトの抜粋をご案内します。

************
自由と境界線
境界線は人生の一部です。コミュニティの中では、たくさんの自由が許されています。しかし、正確で明確にコミュニケーションしなければならない境界線が存在します。制限には痛みを伴います。ですが、拒否を意味しているわけではありません。保育者は、首尾一貫した愛情を注いで制限が守られるようにしなければなりません。決定的に重要なことは、保育者は反抗する子供たちにとって、彼らを受け入れられる人物であり続けることです。教育と子供たちの成長を見守ることは、子供たちが失望なく大人になることを可能にしてあげるという意味ではありません。また、子供たちが泣かないように教育することが目的になってもいけません。境界線は子供が痛みやフラストレーションや失望を我慢することを学ぶためのチャンスでもあるのです。子供たちは、私たちの社会や文化に存在する制限を学ぶと同時に、成長して発見して自分の力を外に示す能力を高めなければなりません。境界線があるからこそ見通しが利く環境は、子供たちに自由に動くために最低限必要な勇気を与えます。
**************
私はこの「自由と境界線」こそが、森の幼稚園の保育者が子供たちに教えるべき最重要な教育理念なのではないかと思っています。境界線の存在があるからこそ、人は真の自由を獲得できるのだと思うからです。
今回のコラムはいかがでしたでしょうか。ご意見やご感想等を頂けましたら、とても嬉しく思います(メールアドレスはmidori@japanication.de)。

注意: 掲載されている写真の著作権はJapanication Midori Goebbelに帰属します。


[PR]
by midorimartin | 2011-11-18 20:10 | コラム

ドイツ森よう便り「インスパイア」が連載開始しました☆

昨春、日本の森のようちえん全国ネットワークさんに森の幼稚園プロジェクトの件でお問い合わせさせて頂いたとき、彼らのウェブサイトにて私の連載コラムが掲載されればいいなあ〜なんて漠然と思っていたのですが、まさか本当に実現するなんて夢にも思っていませんでした。





連載コラムのタイトルは、【ドイツ森よう便り「インスパイア」】です。



http://blog.morinoyouchien.org/

/////

深い森の中にあるガウティング森の幼稚園



はじめまして。私、ドイツのミュンヘン在住の森ようツナギストこと、ゲッベルみどりと申します。「森ようツナギストって何ですか?」という声が聞こえてきそうなので、まずは簡単に私の自己紹介です。ドイツ滞在歴18年半、今年43歳になるワーキングマザーです。アニメおたくのドイツ人夫45歳と、大阪弁なまりの日本語とバイエルン弁なまりのドイツ語を話す娘9歳との三人家族です。ドイツ企業で中間管理職の会社員時代を経て、現在はフリーで仲介業やアプリのQA業を営んでおります。昨春、日本人の幼稚園の先生や保育士さんに森の幼稚園の実習先や視察先のコーディネート、つまり森の幼稚園と人をつなぐお仕事を始めました。だから私は「森ようツナギスト」なんです。

今までに何度も、そして幾つものミュンヘンの森の幼稚園に足を運んでおりまして、実習生や視察のお客様と共に、森の幼稚園の魅力を存分に味わってきました。森の幼稚園の魅力はたくさんありすぎて、一言では収まらないのですが、あえてキーワードとして挙げるならば、「自然との共存」、「自発性」、「五感への刺激」の3つに尽きると思います。

●自然との共存: 子供たちは、毎日自然の中で過ごしますので、ありのままの自然を受け止めることが無意識に定着していきます。大人が言葉で、「自然を大切にしましょう」と言わなくても、森の幼稚園での日々の活動から、理念が身体に染み通っていくのです。

●自発性: 子供たちは、日々森の中にいるので、境界線を体験的に知らなければなりません。例えば、チームワークが必要になる場面に遭遇したとき、どのような行動を取らなければならないのか。そんなとき、発言しなければ、自分が望んでいることをお友達に知らせることができません。必然的に自発性が備わっていく土台ができていきます。

●五感への刺激: 子供たちは、森や自然を見て聞いて臭って感じて味わうことから、知覚を活性化させることができます。私がなぜこんなにも、「また森の幼稚園に行きたい!!」って思うのか。それは、この五感への刺激があるからなんです。このことから、私の連載コラムのタイトルを「インスパイア」にさせて頂きました。つまり、森と自然は「(思想や感情を)吹き込む源」なのです。

さて、今回のコラムのタイトルである「深い森の中にあるガウティング森の幼稚園」について触れたいと思います。ガウティング森の幼稚園は、ミュンヘン西南部に位置し、2010年3月に私が人生で初めて訪れた森の幼稚園でもあります。雪深く、犬がいて、トナカイの毛皮が地面に敷かれ、温かそうな焚き火があります。丸太椅子に座っている子供たちや、絵本を見ている子供たちを先生が優しく見守っています。 バウバーゲン(コンテナタイプの園舎)のすぐ側で、談笑する園児のお父さんたちもいます。この写真を見ると、まるで中世の世界に入ったような初印象の記憶がいつでも蘇ってきます。

ある一人の幼稚園児のお母さんの言葉がとても素敵でした。

「私の長男も森の幼稚園に行ってました。彼は空を見るだけで、お天気の動きがわかるようになったんですよ。きっと森の幼稚園にいたときに、空を毎日観察していたからなんでしょうね〜」。

チロル出身で20年以上森の幼稚園で働くベテラン先生のお話も素敵でした。

「幼稚園時代は一番感性が豊かな時期であり、そのみずみずしい感性を森の幼稚園で磨くべきなのです。シンプルで何もない環境だからこそ、無駄なものは一切なく、自然の中で子供たちは体を使って五感も使って自発的に遊びながら学ぶことができるのです。これこそなにものにも代えられない教育の姿でもあります。例えば、私が落ち葉をホウキで集めていると、子供たちが集まってきて私を手伝ってくれます。手伝うことで、労働が楽しいことを学ぶのです。小学校に入ってからでは遅いのです」

これから定期的に、私が集めたドイツの森の幼稚園のエピソードを一枚の写真と共にお届けいたします。ご意見やご感想等を頂けましたらとても嬉しく思います(メールアドレスはmidori@japanication.de)。

/////
[PR]
by midorimartin | 2011-09-25 07:03 | コラム