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【モシュ森ツナギストだより】 Vol 3「自由の定義」

2010年にシュタイナー教育に初めて触れた場所がシュタイナー学校。




教育畑出身でない私にとって、見るもの聴くもの初めてづくしで、五感が解放されっぱなしの視察時間だったことを今でも思い出す。





エポック授業、オイリュトミー、匠の域までいきそうな工芸レッスン、そして、中でも注目したのは園芸の時間だった。





その時間で私が学んだことは「自由とはなんだろうか。自由に決断をするとはどういうことなのだろうか」




「欲求が動機づけで直感的に決断することは自由な決断とは言えない。概念がないことは、知覚ではない。自覚や意識を発達させよう。自覚や意識は自由の中にある」と、言葉をたくさん並べていく園芸授業の先生。




「感情を五感のように発展させることにより、知覚したことが動機となって行動できたとき、私たちは自由な決断をしたことになる」と先生の説明。




知覚が動機づけとは、いったいどういうことなのだろうか。深いテーマである。




それ以来、私は森のようちえん・モンテッソーリ幼稚園・シュタイナー幼稚園を視察するたびに、「自由の定義」を考えるようなった。



2010年から2016年の6年間の間で得た私なりの見解はこうだ。





・ シュタイナー教育 → 用意された環境 → 決定の自由性




・ モンテッソーリ教育 → 用意された環境 → 選択の自由性




・ 森のようちえん → 用意されていない環境 → 想像の自由性





「決定の自由性」とは、欲求に依存せずに決定する能力。




「選択の自由性」とは、個々の好みにぶれずに選択できる能力。




「想像の自由性」とは、何もない状態(自然)の中から何かを生み出す想像の能力。




それぞれの教育はユニークですべてが「精神の自由性」につながってると思う。非常に興味深い。




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by midorimartin | 2016-09-18 16:54 | コラム